
もう眠ったほうがいい時間・・・とわかっていながらついDVDをPCに入れてしまう夜がある。
そんな昨夜のチョイスは、お気に入りムービーベスト5の「To kill a mockingbird =アラバマ物語」。
ハーパー・リーのピューリツァ賞受賞作を映画化したこの作品は、1930年代の大不況にあえぐアメリカはアラバマ州の小さな町が舞台。
グレゴリー・ペック演ずるアティカスは、弁護士として生計を立てながら、多感な成長期を過ごす2人の子どもを育てている。そんなある日、白人女性を強姦したとして起訴された黒人男性トムの弁護を引き受ける事になる。
白人が黒人を弁護する・・・白人社会の非難を受けながらも、人間として果たすべき正義を追求するアティカス。そんな父親を見ながら、自らの差別・偏見の意識を変えていく成長期の子ども達。
人種差別・偏見を主テーマに、人間としてあるべき姿勢について問いかける素晴らしいこの作品を見る度、認識せざるを得ない自分の中の差別や偏見の意識。
人種間の差別に限らず、この世の中には様々な差別や偏見が存在している。
この差別や偏見はどうして起こるのか?そう自身に問いかける時、3つの無知が浮かぶ。
1)相手を知らない、または相手を知ろうとしない無知
2)自身が無知である事を気づかない二重の無知
3)個々の無知が作り上げた社会的差別・偏見を鵜呑みにして、誤った認識を正当化してしまう無知。(マイノリティーへの差別・偏見)
そしてこの無知を根源とする差別・偏見は、いつも差別される側を心理的に・物理的に傷つけ、すべての人間が当たり前に持っているはずの大切な人権を侵害してしまう。
実際作品の中でも、事故で手が不自由なトムが、暴行などに及ぶはずもないのだけど、当時の南部の社会の黒人に対する偏見や差別が真っ当な判断を犯し、無実のトムは、無情の運命をつきつけられてしまう。
ならば、この無知を根源にした差別・偏見を失くすにはどうしたらいいのだろうか?
一筋縄にはいかないけど、相手を知ろうとする姿勢・想像力を最大限に働かせ、相手の立場に立って理解してみようとする力が大切な事に様に思う。
私は日本人として、黄色人種として、女性として差別されたり、偏見の扱いを受ける事がどんな事は理解はできるけど、黒人として、男性としては正直100%理解はできない(もしかしたら1%もできないかもしれない。)しかし少なくても、同じ個の存在として想像力を広げる事はできる様に思う。
そして私達は人間として皆平等でなければいけない・・そう常に意識して行動をする事もとても大切だと思う。
実際、このアラバマ物語の中でも、随所に原作者や監督のそんな思いがちりばめられている。
加えて この作品の中に、もう一人重要なキャラクターが描かれている。
引きこもりで狂人扱いされているブー・ラドリィーがその人。しかし彼の引きこもりは個人の象徴の表れでもある。
国籍・人種・性別・年齢・・さまざまなカテゴリーに私達は無意識に/意識的に人をあてはめる。しかしこのカテゴライズを外し、個人としてその人を捉えた時、私達は差別や偏見と言った認識からも解放されるでしょうか・・・